2020年5月3日礼拝説教

旧約聖書 列王記下20章4~5節  (旧約p614) 
新約聖書 福 音 書 ルカによる福音書5章17~26節   (新約p110)

説  教 「起きて床を担ぐ」  柳谷知之牧師

 かつてまだ私が神学生の頃に、小山晃佑(こやま こうすけ)という神学者のお話を聞く機会がありました。この方は、日本で生まれ育ちましたが、1960年代にタイで宣教活動をされ、その後、シンガポール、ニュージーランドの神学大学で教えられた後、80年代、90年代とアメリカのユニオン神学校で教えられていた方です。日本よりも海外で知られた神学者で、特にアジアの文化や宗教的背景の中でキリスト教を考え、キリスト教が根付くにはどうしたらよいか、ということを考えてこられた方でした。「西欧のキリスト教を仏教という塩で味付けする」と語り、抽象的な考えよりも、もちごめ、バナナ、闘鶏、釣りといったタイの農民にとって具体的な言葉によってキリスト教の福音を伝えることが大切であることを説いていました。そうした考え方を『水牛神学(Water Buffalo Theology)』という論文を通してまとめられていた方でした。せっかく生で聞いたお話の中身は恥ずかしながら覚えていないのですが、講演の後の質問に答えられたことを今でも覚えています。

 ある学生の質問「信仰告白としての使徒信条に加えるとすれば、どんなことを加えますか?」に答えて、「イエスが悪霊を追い出し、病を癒されたことを信ず、ですね」と言われました。福音がより具体的に語られるべきである、ということの現れではなかったかと感じました。そして、使徒信条を通して、私たちは「主は聖霊によって宿り、おとめマリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と告白しますが、主イエスが生まれて十字架の苦難に向かう間の具体的な働きをわたしたちは忘れてはならない、ということと、人々と共に具体的な十字架を教会は担っているのだ、というメッセージを感じました。

 そのことが特に福音書で主イエスの出来事に触れるたびに想い起こされます。そして、教会は、またわたしたちキリスト者は、社会や個々人の状況の中で常に十字架を担うようにされているのだ、ということではないか、と感じさせられているのです。また、十字架を担う、ということは、決して悲壮感をもって担うものではない、ということも併せて考えさせられます。主イエスは、私たちを招かれる時、次のように言われるからです。

 「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを与えられる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28―30)

 同時に、パウロが語ることも想い起こします。
「神は、真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)

 誰もが大なり小なり重荷を負っています。この社会においても様々な矛盾があります。その十字架は時には重すぎて担えないかのように見えます。しかし、主イエスのもとに来なさい。そうすれば、負いやすい軛となり、軽くされた荷となるのだ、と言われているのではないでしょうか。また、昨今巷でも「神は耐えられない試練を与えない」という言葉を聞きます(競泳の池江璃花子選手やX-JAPANのYoshikiからも)。続いて「乗り越えて強くなる、強くなれる」というメッセージを聞くのですが、わたしは、その前半の本当のところの意味を、もっと聖書が語るところに聴きたい、と感じさせられるのです。

 今日の福音書もそのところに響くことがあるように思えます。

 主イエスは、多くの人々の病を癒されました。本日のルカも、主イエスは、「主の力が働いて病気をいやしておられた」(17節)とあります。そして、そこに中風(ちゅうぶ)の人が運ばれてきたのでした。体が麻痺(まひ)して寝たきりになっていた人でした。現代であるなら脳卒中などの後遺症などの半身不随と重ねられるところです。男たちが運んできました。マタイやマルコによる福音書では、この男たちは4人であったことが分かります(マタイ8:1-4、マルコ1:40-45)。彼らは、主イエスの前に中風の人を置こうとしたのですが、人々に阻まれて、運び込むことができませんでした。しかし、彼らは主イエスが話しておられた家の屋根に上って、屋根の瓦などをはがして、主イエスの真ん前になるように、そこから病人を寝たまま下したのです。わたしたちがその場に居合わせていることを想像してみてください。主イエスの話を聞きにきているときに、突然、家の屋根がはがされて、上から病人の寝床が下されてきたのです。あっと驚くような場面です。同時に、その家の主人だったら「なにやってんだ。やめてくれ!」と叫ばずにはいられなかったところではないでしょうか。

 主イエスももちろん驚いたことでしょうが、しかし、自分自身の驚きよりも、その病人を吊り下した男たちの信仰を見られたのでした。「主イエスならば、この友人の病を癒してくださる。なんとかしてくださる」と信じた人たちの思いを見てくださったのです。
 そして「人よ、あなたの罪は赦された」と言われました。

さて、そこでわたしたちは立ち止まります。「寝たきりの人を起き上がらせるのではないのですか?なぜ、罪を赦されることが第一なのでしょうか」と。
 ここで「罪」ということを考えます。「罪」という字や響きから、わたしたちは道徳的に、倫理的に間違ったことをここに見るでしょう。しかし、病の人が負っている罪とはなんでしょうか。聖書が語る「罪」とは、つぎのように言うことができます。「神から離れること、神の考えや思いから外れることである」と。「神を信じないこと」だけでなく「自分で何でもできると傲慢になること」もそうですし、反対に「自分は何もできない、生きている意味がない」と思うことも「罪」と言えるのです。なぜなら、神は、すべての人に命を与え、生きることを許されているからです。

 そのように考えるならば、病人の人が陥りやすい罪とは、次のように言えるのではないでしょうか。もしその人が「わたしは病で寝たきりになって、周りの人に迷惑ばかりかけている。わたしなどいないほうがいい。生きていても仕方がない」との思いにとらわれるのだとすると、それは「罪」だといえないでしょうか。絶望もまた「罪」の現れです。
 あるいは、次のように考えることもできます。当時のユダヤの社会においては、いわゆる「不幸な出来事」は神の裁きである、という考えがありました。ですから、重い病は「本人の罪のせい、先祖の罪のせいだ。あるいは悪霊の仕業だ」とされていたのです。その意味で寝たきりの人は「罪人」とレッテルを貼られ、「けがれた者」とされていたに違いありません。
 そのような中で、主イエスによる「罪の赦し」の宣言は、病気の人に生きる意味と希望を与えるものではなかったでしょうか。「あなたはもう罪人ではない。神の民の一員である。神から愛されているのだ。もう人の目や自分の思いにとらわれることはない」「あなたは十分自分の重荷を担った。その重荷を下ろしなさい」という意味が込められているのではないでしょうか。

 ですから「あなたの罪は赦された」という言葉は、病の人にとって救いの言葉です。

 ところが、出来事はここで終わりませんでした。主イエスのことに興味を持ちつつも、怪しむ人々、陥れようとする人々が、ガリラヤとすべてのユダの村々から来ていたのでした。それが当時のユダヤ社会で指導的立場にあったファリサイ派の人々、律法の教師たちでした。
 彼らは、主イエスが「あなたの罪は赦された」と言われるのを聞いて、「罪を赦すことができるのは神以外にはおられない。これは神を冒涜することだ」と怒りを覚えました。当時、罪の赦しのためには、犠牲を捧げ、祭司の宣言が必要でした。そのような手続きもなかったことも彼らの不信感を呼び起こしたことでしょう。主イエスは彼らのその思いを知り、「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか」と言われて、病の人に呼びかけました。「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と。そして、その人はすぐに起き上がり、床を担いで、神を賛美しながら帰っていったのでした。

 これらの出来事の中に、神の癒し、主イエスによる癒しの根本的なところを見ることができるでしょう。一つは、神の救いは個人的な出来事ではない、ということです。中風の人は、その人の信仰によって罪赦され、癒されたのではなく、その人を連れてきた人たちの信仰によったのです。わたしたちも、自分の思いだけで神に救われたのではなく、周囲の信仰者による助け、導きそして祈りによって支えられてきたのではないでしょうか。

 二つ目は、主イエスによる罪の赦しと癒しとは、体の癒しにとどまるものではないということです。癒された人は「起き上がり、床を担いで」家に帰ったのです。「起き上がる」とは、復活する、ということです。それは新しい命を受けた、ということです。また、「床を担いでいく」には、次のことが考えられます。
 「床」は、その人の過去のとらわれや罪、重荷を表します。それを担いで帰る、とは、これまで重荷であったものが、主によって軽くされ担うことができるものとなったことを示します。主によって「新しい命」が与えられるとは、過去の傷や重荷さえも、新しく主から与えられた荷として負っていくということです。復活された主イエスは、弟子たちに十字架刑の傷跡を見せられました。傷跡が跡形もなくなったのではなく、傷跡がある体として復活されたのです。
 また、この「床」は、やがて別な誰かを運ぶものになった、という解釈もあります。
 そのように考えるならば、私たちに与えられる試練、重荷も、主にあって軽くされるということ、そして、軽くされたならば、それはまた他者を癒すものとなるのです。
 冒頭に挙げた「神は、耐えられないような試練に遭わせられない」という言葉においても、わたしたちが自分だけの強さによって乗り越えていくというのではありません。弱さや痛みを認めながら、そこで他者とつながっていくところで実現していくものではないでしょうか。
 さらに「試練から逃れる道」というのは、ある意味、正攻法ではないありかた、別な視点をもっていく、というところが示されているのです。中風の人を屋根から吊り下した男たちと同様に、平面的には不可能に見えることも、三次元的に見たときに、道が開かれることもあるでしょう。神の視点から見るときに、この世の価値観を超える道も与えられるのです。

 押田成人神父が次のように語ります。
 「正直一生懸命やっているのに、こなごなになっていくる。そこでハッと気づく。「俺が生きているんじゃない。生かされているんだ」って。そういう状態になった時に、なんかこのここから吹いてくる彼岸からの“気”にあずかるようになるんだ」と。ここにも視点の転換と、ある種の開き直りと、そこから生まれるすがすがしさがあるように見えます。(押田成人著作選集1 217頁)

 パウロはかつてキリスト者を迫害する律法主義者でした。彼は、いわゆる旧約聖書に深く通じていたという点で、その観点から主イエスの福音を解き明かしました。律法主義者であったことは無駄ではありませんでした。一方、彼は、律法主義の過ちを認め、その時の誇りは糞土のようなもの、と語ります。これまでのこだわりや経験を捨て去る覚悟を持ったのです。ですから、ユダヤ人キリスト者に対して、律法を厳格に守る必要がないことを説き、異邦人キリスト者を受け入れることができ、そのことでキリスト教は一民族の宗教から世界的な広がりをもつ宗教へと発展していったのだと言えるでしょう。

 わたしたちにも、一旦自分なりのこだわりや経験や積み上げたものを捨てるからこそ得るという世界があるでしょう。また、絶望するからこそ見える光が用意されているのです。それが、主にある「罪の赦し」と「癒し」の世界なのです。

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