2021年3月28日 礼拝説教 棕梠の主日

聖書

旧約聖書 エステル記4章14節  (旧約p768) 福音書 ルカによる福音書23章13~25節 (新約p156)

説 教 「ピラトだけの責任か」~赦された罪人として生きる~   柳谷知之

受難週のはじめに

この受難節は、主イエスがエルサレムで受難に遭うという覚悟をもって旅に出たところから聖書を聞いてきました。エルサレムに向かう途上であるということ、主イエスの十字架を文脈にして読んでみると、その箇所だけを読むのとは違う見方が出てきます。と言いましても、11章までの歩みでしたから、ここで23章まで飛んでしまいました。今週は、受難週であり、聖木曜日と聖金曜日にもみ言葉に聴く時を持つ予定ですが、次週日曜日に主イエスの復活の場面に突如といくのではなく、主イエスの十字架に関して具体的な場面から共に聞きたいと思いました。主イエスの苦難が遠い出来事ではなく、私たちの身近になることに導かれたいと思っています。

さて、日曜日に主イエスはろばの子に乗ってエルサレムに入城されました。人々はなつめやしの枝を振ったり、自分の服を主イエスの通り道に敷いて、歓迎しました。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように」と。その後、エルサレム神殿で商売をしていた人たちを追い出しました。神殿で多くの人々に取り囲まれ、議論をしたり質問を受けました。その様子に人々は感嘆し、この人こそ、イスラエルの王になるべき方だ、という思いをますます強めていたことでしょう。一方、ファリサイ派の人々や祭司たちは、主イエスを妬み、主イエスが自分たちがこれまで守っていたことを守ろうとしないことに腹を立て、主イエスを殺そうとしていたのでした。それは個人的な感情というよりも、社会の秩序を保つためにも必要である、と考えていました。「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」(ヨハネ11:50)という大祭司カイアファの発言もあります。彼らはなんとか主イエスを捕らえたかったのですが、主イエスを歓迎する人々を恐れていて捕まえることができませんでした。そこに、主イエスの弟子の一人イスカリオテのユダの裏切りがありました。ユダの手引きにより祭司長たちは主イエスを捕らえることに成功したのです。

捕らえられた主イエスは、大祭司の家に連れて行かれました。ペトロが大祭司の庭において焚火にあたっていましたが、そこで彼は主イエスのことを3度も否認してしまいました。主イエスは、見張りをしていた者たちから暴行を受けたり、侮辱を受けました。そして、夜が明けて、ユダヤの最高法院(サンヘドリン)にて裁判を受けました。証言に食い違いがあったりしましたが、神を冒涜したという罪で主イエスは有罪となりました。そして彼らは自分たちで石打の刑にするのではなく、ローマ帝国の総督ポンテオ・ピラトのもとに連れて行って、国家に対する反逆を企てている、と訴えました。

ピラトによる裁判が始まりました。ピラトは、祭司長や人々からの訴えを聞きながら「わたしはこの男になんの罪も見いだせない」と言いました(ルカ23:4)。その後、ピラトはイエスがガリラヤ出身だと知ると、エルサレムにいたガリラヤの領主ヘロデ(アンティパス)のもとに主イエスを送りました。ヘロデは主イエスの奇跡を見たいと願いましたが、それが叶わないとみると主を嘲り、派手な衣を着せて、ピラトの下に送り返したのです。

ピラトの裁判

再度 ピラトは、祭司長たち、議員たち、人々の前で主イエスに何の罪も見いだせないことを言いました。「この男は死刑にあたるようなことは何もしていない。鞭を打って釈放しよう」と言ったのです。

ところが人々は一斉に「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだのでした。

ピラトはそれでも主イエスを釈放しようとして人々に呼びかけたのですが、皆一斉に「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫びました。ピラトは三度目にも言いました。「死刑にあたる犯罪は見つからなかった。鞭で懲らしめて釈放しよう」と。ところが、人々は、大声で主イエスを十字架につけるよう要求したのでした。

とうとうピラトは人々の要求を受け入れる決定をしてしまいます。

ピラトはローマ帝国の総督という立場であり、正しい判断をすればそれを通すことができたのではないか、と思うところもあるでしょう。かつて私はピラトは主イエスの無罪を主張していたのだから、そう悪い人ではないのではないか、と思っていました。

ピラトについて

ここで、歴史的に考えられているピラトの実像について迫ってみます。~ヨセフス(ユダヤ人の歴史家)による。

  • 皇帝の胸像が付いた軍旗をエルサレムに掲げたが、ユダヤ人たちの猛反発があり、結果撤去した。
  • エルサレムの水道工事に、神殿税の一部を使用。抗議した人々を力ずくで解散させ死傷者を出した。
  • ユダヤ人の指導者に告発されたイエスに十字架刑の判決を下した。
  • ゲリジム山に集結したサマリア人をローマからの離反者と思い込み、兵隊を送り死傷者を出した。
  • このサマリア人殺傷事件後、サマリア人の評議会はシリア総督(ピラトの上司)にピラトの非道を訴え、その結果ピラトはユダヤ総督を解任された。

その他、「ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜた」(ルカ13:1)という聖書の証言もあります。

以上より、ピラトは強硬な態度に出ることがあり、残忍な面もありました。また、人々の強い抗議には従うところがありました。ローマ帝国では被支配住民に総督のリコール権があったことからも、ピラトは民衆を恐れていたのです。自分の中に揺るがない正義や確信があったというよりも、弱い立場の人には権力を振るい、強い立場の人には従っていたということになります。

ピラトだけの責任にしてよいのか

ピラトは、主イエスが死刑にあたる罪を犯していないと知っていながらも、人々の要求に負けてしまいました。このような権力者を赦すことはできない、と思うでしょうが、このピラトの姿は、私たちと全く関係ないとは言い切れないものがあります。

自分の立場やプライドによって正しい判断ができないことがあります。人に強く言われると折れてしまうこともあります。揺るがない正義があるのか、というとそうではない面がないでしょうか。社会のどこかで行われている不正にも目を閉ざしてしまうこともあります。

私たちが、使徒信条において「(主は)ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と告白しますが、それは歴史的出来事である、ということだけでなく、そのように具体的な人間の罪によって苦しみを受けたのだ、と告白しているのです。主イエスの十字架をめぐって、私たちはこのピラトの姿の中に自分自身を発見することができるのです。

人の罪のために

今日の箇所では、民衆を扇動する指導者がいて、煽られてしまう民衆がいます。エルサレム入城の時に主イエスを歓迎した民衆と、ここで「十字架につけろ」と叫ぶ民衆は違う人々ではないか、という意見もありますが、私はそう考えません。なぜなら、人間は(私も含めて)一貫していないからです。エルサレムの王として歓迎した主イエスが、その後捕らえられ鞭うたれ嘲られ裸同然に民衆の前に現れたなら、自分自身の願望が裏切られたという思いをした人々が多かったことでしょう。自分の願望が叶わないとき、人はあっという間に態度を変えてしまうことがあります。そのように考えると「主の苦しみはわたしのせいである」と思えてきます。救いようのない罪があるからこそ、主の十字架を通して語られる罪の赦しは特別な意味を持ってくるのです。

何も無理矢理、皆さんを罪人にしようというつもりはありませんが、罪人(つみびと)でなかったら主イエスと私たちは、また教会と私たちは何の関係もなくなるのです。ルターは大失敗をして教会から離れてしまった同僚の牧師に次のように手紙を送ったとのことです。「あなたの罪は自分の力で解決できるほど小さなものではない。あなたのためにこそキリストは十字架にかかったのだ。この罪人の群れに戻ってきてほしい」と。

「赦された罪人」として私たちも新たな一歩を踏み出しましょう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする