聖 書
旧約聖書 エレミヤ書29章11節 (旧約p1230)
福 音 書 ルカによる福音書9章51~56節 (新約p124)
説 教 「主の戒め」 柳谷知之
天に上げられる
主イエスは、弟子たちにご自分の十字架と復活を予告されました。聖書でみますと、9章21節以下と、9章43節以下の2度、受難の予告がなされました。「天に上げられる時期が近づくと」とは、これらの受難の時期が近づいている、ということです。聖書協会共同訳では「日が満ちる」とあります。ただ時間がたったというのではなく、決定的な時が来た、成就していることが示されます。その受難はこの世を去ることでありますが、それは天に上げられるということでもあります。受難と天に上げられる、ということは、死ということでつながるかもしれませんが、次のように考えてみました。
先週、新聞のコラムで次の俳句を知りました。
「泥の底繭のごとくに嬰(やや)と母」(照井翠 2011年)
照井翠は、2011年釜石高校で国語の教師をしていました。震災に遭い被災者として生活をした人ですが、津波の後の町の様子を見ています。「排水溝や様々な穴から亡骸が引き上げられる。赤子を抱き胎児の形の母親、がれきから這い出ようともがく亡骸、木に刺さり折れ曲がった亡骸、もはや人間の形を留めていない亡骸」「これは戦場以上だと呟き歩き回る老人の姿」を目の当たりにします。この俳句は、津波の後、泥の中に埋まっていた赤ん坊とその母親を詠ったものです。母親と赤ん坊が無残にも津波のために命を失い、泥の中に埋もれている姿。その泥に包まれた様子を、「繭のごとく」と表現しています。痛ましいはずの姿を「繭のごとく」と見ているのです。「繭」は、その中に新しい命を宿しています。泥をすぐにでも洗ってきれいにしてあげたい、というよりも、それは「繭」として触れてはならないもののように見ている感じがします。解説者は「繭は崇高さを讃える最高の言葉だ」と述べます。
コラムでは続いてヴィクトール・フランクルの言葉が引用されています。
「人間は苦しみと向き合い、この苦しみに満ちた運命とともに全宇宙にたった一度、そしてふたつとないあり方で存在しているのだという意識にまで到達しなければならない。」(『夜と霧』)
あってはならない苦難。それによって生きることが否定され、自己が崩壊してしまうことがあります。一方で、その苦難が生きることのかけがえのなさ、唯一無二の存在を際立たせるものとなるのです。それはとても難しいことですが、主イエスの受難にもそのような方向があります。受難を神の御心とし、その先に復活の命を希望していくからです。「天」とは、世の価値を超えた大いなるものを示します。主イエスが受難の道を歩むのですが、それは人間の思いを超えた「天」に向かう道です。さらに主の受難によって、弟子たちにも「天」に達する道が開かれたのです。
主イエスはその受難を御心として受け止め、エルサレムに向かう決意をされました。
サマリアの町で歓迎されない
ガリラヤからエルサレムに向かおうとすれば、避けて通ることができないのが、サマリア人の土地です。主イエスは先に弟子を遣わして、サマリアの地で留まるところを準備させようとしました。しかし、村人は主イエスの一行を歓迎しませんでした。主イエスがエルサレムに向かおうとしていたからだ、とあります。直訳的には、「彼の顔はエルサレムを向いていたから」となりますが、主イエスの顔がサマリアの人々にではなく、エルサレムに向けられていたからということが言えるでしょう。
サマリアは、北イスラエルの領土でしたが、紀元前8世紀(前722年)に北イスラエル王国が滅びた後、アッシリア帝国の政策によって、指導的立場にあった人々は強制的に他の土地に移住させられ、他の民族が入ってくるようになりました。異民族と残ったイスラエル人の混血の人々が、後にサマリア人と呼ばれました。彼らはモーセ五書しか信じない人々で、ゲリジム山で礼拝をしていました。南ユダが新バビロニア帝国によって滅ぼされたのが紀元前586年。その後、ペルシャ帝国のキュロス2世によりバビロン捕囚は終わりました(前538年)。そしてエルサレムにユダの人々が帰ってきました。すると民族的な純粋さを求め、北のサマリア人を異民族との混血で汚れている民とみなしました。ですから、ユダヤ人とサマリア人との間には、大きな溝があったのです。お互いに付き合わないようにしていました。それでも、主イエスはサマリア人と接点を持ちました(ヨハネ4章)。善いサマリア人のたとえ話もされました。主イエスの側に、サマリア人を疎むことはなかったと考えられます。ですから、サマリア人の村に泊まろうと考えたのです。
主の戒め
ここで、ガリラヤからエルサレムに行く道のりを考えてみます。主イエスが育ったナザレからエルサレムまでは、徒歩で30時間(150~170キロ)、3~4日の道のりと思われますが、そのうちサマリア人の土地は50~70㎞といったところです。主イエスの一行はサマリア人の土地に入って、宿をとりたいと願ったと思います。しかし、歓迎されず留まるところを得ることができませんでした。主イエスが、エルサレムのほうに向かっていたからでした。自分たちのほうではなく、エルサレムに向かおうとする主イエスをサマリアの人々は受け入れられなかったのでした。エルサレムではなくゲリジム山を聖地としていたサマリア人の立場からすると、そこにユダヤ人とサマリア人の壁を感じたとしても不思議はありません。
すると、ヤコブとヨハネは「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と主イエスに言ったのです。自分たちを歓迎しない者たちを滅ぼしてしまってもよいか、というのです。
すると主イエスは、それを戒められたのです。すなわち、滅ぼすなどと言ってはならないということです。これは、主イエスが教えられた「敵を愛せよ」という教えにも通じるでしょうが、9章全体を見ると、それはただヒューマニズムや人間の理性といったものによるのではなく、十字架の道行きを歩むこと、小さな者を受け入れるという主イエスの宣教の姿勢とつながるところと考えられます。
すなわち、主イエスは「最も小さい者こそ、最も偉い者である」(9章48節)と言われました。
続いて「逆らわない者は味方だ」(9章50節)と言われました。今日の箇所では、主イエスを受け入れない者たちを滅ぼさない、という姿です。主は、サマリア人たちの置かれた状況もご存知です。力関係からいえば、サマリア人はユダヤ人から見ると少数者で、汚れた民として差別されていました。主イエスを受け入れないというのは逆差別的かもしれませんが、そこに人間の罪があります。
主イエスの旅路は、その人間の罪にかかわることです。十字架の道において、人間の罪が明らかにされると同時に、神はその人間を赦し、新しい生き方に導かれているのです。そこには平和の道があります。ですから、既にエルサレムに向かう途上が、主イエスの十字架と赦しの道です。わたしたちは誰と自分を重ねるでしょうか。排除されたといきり立つ弟子たちに自分を重ねるでしょうか。それとも、エルサレムを向いて自分を見てくれないと嘆き、主イエスたちを受け入れなかったサマリア人にでしょうか。それとも、すべての人の罪を負いつつ、神の御心に生きようとされる主イエスにでしょうか。
レントが始まろうとしています。主イエスと共に歩みつつ、イースターの希望を仰ぎ見ましょう。