説教要点 2月2日

説  教 「ひこばえから始まる」 柳谷知之牧師

聖 書 イザヤ書11章1~5節(旧約p1078)  ルカによる福音書3章23~38節(新約p106)

 最初に、主イエスがどれぐらいの年齢で宣教活動をされたのか、が語られている。およそ30歳だった、とのこと。そこから、3年後には十字架につけられることになる。当時の30歳は、現在であれば50歳ぐらいのイメージではないか。平均年齢が45歳以下の時代と考えられている。10代で結婚し、家庭生活を守る人々。30歳といえば、自分の人生の最後をイメージしたとしてもおかしくはないだろう。 また、30歳という年齢は、祭司として働ける年齢。

  民数記4章2~3節 レビの子らのうち、ケハトの子らの人口を、氏族ごとに、家系に従って調査しなさい。それは臨在の幕屋で作業に従事することのできる三十歳以上五十歳以下の者である。

 一方、ルカによる福音書では、主イエスの系図が語られる。主イエスが、ダビデの子孫であること、そこからさらに、神につながっていることが語られている。カタカナの名前が続いている箇所であり、詳細に見ていくことは少ないかもしれない。

ここで、マタイによる福音書の冒頭の系図と比較してみたい。マタイによる福音書の系図とルカの系図を比較して述べると、次のようになる。

マタイ ルカ
アブラハムから主イエスに下降。 主イエスから神にまでさかのぼっていく。
女性の名前があげられている(男性の罪のため苦境に陥った女性、異邦人の女性) 女性の名前はない。
バビロン捕囚期までは、ダビデ以降の名前はイスラエル(ユダ)の王となっている。正統な王の系譜。 ダビデのあとはソロモンではなく、ナタンとなっている。ダビデ以降は、シャアルティエル、ゼルバベルを除いて、正当な王の系譜ではない。(ゼルバベルはバビロン捕囚後にエルサレムに帰還したイスラエルの民のリーダー エズラ記、ネヘミヤ記 ハガイ書に登場)
アブラハムからダビデまで、ダビデからバビロン捕囚までを14代、さらにバビロン捕囚からキリストまでも14代として時の中に神の業があることを示している。 ルカは、アブラハムからの系図ではなく、アダムまでさかのぼり、さらに神に至ることが語られる。そこで、主イエスは、神の愛する子として規定される。

マタイとルカの系図の大きく異なっているところは、③の点である。ダビデから主イエスにつながるところで、ルカはすでにソロモンの系譜ではない。また、イエスの父であるヨセフの父の名前も異なる。

  →だから聖書は嘘を語っている。主イエスがダビデの末裔というのも伝説でしかない、という批判もある。

  →そのような批判に、早くから次のような説により、二つの異なった系図を統合しようとしてきた。

・マタイは、主イエスの父ヨセフに関しての系図であり、ルカはマリアに関する系図だ、という説。

・レビラート婚により、亡くなった兄(家)を受け継いだ弟の名でルカは記されている。

・マタイは王の系譜を大事にしたが、ルカは実際に担った人の名で記されている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

しかし、わたしたちはその試みをするものではない。

マタイの神学の視点とルカの神学の視点が異なるのであり、それぞれ何を語ろうとしているのか、に注目する。

ルカは、その前の3章で、主イエスは聖霊を受けて、神から「これはわたしの愛する子」と語りかけられている。またルカは処女降誕を描くことで、人間の業が介入しない神の直接的な業によって主イエスの誕生を描いている。

これらのこととつながって、主イエスの働きの根拠が神にあることが強調されている。

また、詳細にここに記された名前の数を見ていくと、イエスも含めて77人が登場している。

さらに、ルカは、イザヤ書11章にあるエッサイの株から育つ若枝、神の裁きのあと残された聖なる切り株(イザヤ書6章)のイメージをキリストにつなげているのではないか。

正統的なダビデ王の系譜ではなく、ソロモンの弟ナタンの系譜を、バビロン捕囚後のリーダー ゼルバベルにもつなげながら、主イエスに結びつけている。

歴史を担う者が、いわゆる「名もなき者」であることが示されている。(血筋だけでなく、信仰の系譜においても)

神は、そのように一人一人に命を与え、御自分の使命を果たそうとされる。

世の中にあっては、忘れられてしまう者、記憶されない者であっても、神はご自分の救いの計画の中で用いられる。

むしろ、主流ではない流れの中に、希望を示しておられる。私たち一人一人も、その希望を担う者として、神に選ばれている。

ひこばえ 渡辺禎夫

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