2021年12月26日 礼拝説教 降誕節第2主日 

聖 書
旧約聖書 イザヤ書49章7-9節 (旧約p1142)
福 音 書  マタイによる福音書2章1~11節 (新約p2)

説 教 「救い主の生まれる場所」柳谷牧師  祈り

ヘロデ大王の時代

主イエスがお生まれになったのは、ヘロデ大王の時代と聖書は語ります。主イエスの誕生は歴史のただ中でした。歴史上ヘロデ大王は紀元前4年には亡くなっているので、主イエスはそれ以前に誕生されたということになります(本来は紀元0年がキリストの誕生だったはずですが…)。

ヘロデ大王の時代、当時のパレスチナ、ヨーロッパ、北アフリカは激動の時代を過ごしていました。ヘロデは、イドマヤ人(エドム人の子孫)であり、最初はハスモン家が支配するユダヤで武将としてまたガリラヤ知事として活躍していました。ユダヤはマカベア戦争を経てシリア・セレウコス朝からハスモン朝(紀元前166~63年)として独立しましたが、やがてローマの支配下になりました。(紀元前63年)。しかしローマの支配に抵抗していました。その混乱の時期に、ヘロデはローマと手を結びハスモン家を滅ぼしユダヤ王となっていったのでした(紀元前37年)。一方、ローマ帝国は共和制から帝政に変わり、オクタビアヌスが初代皇帝アウグストゥスとなっていました(前27年~紀元後14年)。ローマの覇権が広がり、エジプトはクレオパトラ率いるプトレマイオス朝が滅ぼされた頃でした(前31年)。

ヘロデ大王は、自身がユダヤ人ではないために、ユダヤ人に気に入られようとしてエルサレム神殿をかつてよりも大きく再建しました(前20年)が、その工費は借金として残り、人々への税金が重く課せられることになったようです。また、ヘロデ大王の最後の9年間は、身内との争いも激化し、息子や弟たちを殺しました。

東方の占星術の学者たち

そのような時代に、東の方から占星術の学者たちがエルサレムにやってきました。

「占星術の学者たち」とありますが、元の言葉では「マゴス(マギの複数形)」で現されています。

マギというのは、魔術師、ペルシャの高位の祭司などを指していますので、ユダヤ人たちから見ると相当怪しい人たちということになります。(ユダヤ人たちは律法に従って星占いも禁じていました)

星に導かれてきた、というところからこの訳になったのでしょう。英語の訳では賢者と訳しているものもありますし、王として考えられていることもあります。

星に導かれたとはいえ、彼らは最初にヘロデ大王のところを訪ねました。

彼らが東の方でみた星は、ユダヤ人の王として生まれ、世界の救い主となる方の誕生を知らせる星だったからです。学者たちは、王が生まれるのなら都しかない、と思い込み、エルサレムを訪ねたのでした。しかし、ヘロデの所に王位を継ぐ者は生まれていませんでした。ですから、その知らせを聞くと、エルサレム中が不安に満ちたのです。ヘロデが王位を守るためには残虐なこともしかねない人物であったからです。

間違った場所に来てしまった学者たちでしたが、そこで真実が知らされます。

ヘロデ大王は、祭司長や律法学者たちに調べさせました。そして、救い主であるメシアがベツレヘムに生まれる、ということが分かったのです。

祭司長たちや律法学者たちは、ミカ書からの引用したことになっていますが、実際のミカ書では次のようにあります。

「エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。」(ミカ書5:1)

ベツレヘムはダビデが生まれ育った村でしたので、ダビデの村(ダビデの町)と呼ばれていました。しかし、小さな村で、メシアが現れる場所であると聖書は語っています。神がとても小さな者を選ばれるというしるしでもあります。

学者たちの思い込みが聖書によって正されました。

そして、再び学者たちは導きの星を見出します。そして、星が導くところに従いメシアである幼子がいるところを訪ねあてたのでした。

星の存在と別な道

ここで「星の導き」とは何でしょうか?

学者たちは、東方で見つけた星に従ってきたはずですが、なぜそれを見失ってしまったのでしょう。

ここで星は、神の導きと考えられますが、神の導きは、人の思い込みによって見えなくなることがある、ということではないか、と考えられます。

また、聖書の言葉によって、その思い込みが解けた後、再び導きが見えると言うことでしょう。

私たちも思い込みの中で、神の導きや神の御心が見えなくなることがあります。

学者たちは、ユダヤ人の王としてメシアは生まれる、と思い込み、エルサレムを訪ねてしまいました。それは、メシアは力ある者として生まれるという思い込みでした。しかし、聖書が語るように、神は小さな者、小さな場を用いられます。

パウロが語るように「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。」(Ⅰコリント1:27,28)

神に選ばれる者は、いつもそうです。アブラハム、モーセ、サウル、ダビデ、イザヤ、エレミヤなど、自分が選ばれて当然だなどと思う人はいませんし、他人から見ても、あの人が選ばれるのは当然などと思われることはありません。そして、神が小さな者を選ばれるのは、そのことで世の驕ったものたち、力あるものたちが神の前で誇ることがないためなのです。

ですから、パウロは「弱さを誇ろう」とまで語ります。

東方から来た学者たちを導く星は、学者たちが方向転換をしてはじめてまた導きの星となりました。絶対的に導く星というよりも、信仰の目をもって見るときに導きの星となり、しるしとなるのです。その時も、導きは、ここだ、とピンポイントで示すというよりも、大体の方向を示すだけです。神が示す場は、最後は、その人の主体性によって見ることが必要とされるのでしょう。

さらに、この学者たちは、夢でのお告げによって「別な道」を通って故郷へと帰って行きました。

それはヘロデの道、大きな者の道ではない、小さく捨てられた道、狭い道です。

大人の理屈ではなく、小さい子どもが守られる道です。

主の道はそのようにして誕生の時から示されているのです。

ヘロデの策略と幼児虐殺

そこでもう少し気になることがあります。

それは、今日の聖書に続くヘロデの幼児虐殺についてです。

主イエスが生まれなければこのような悲惨な出来事はなかったのではないか、と思われる人もいるでしょう。

それについては、正直私もまだ思いめぐらすしかないものがあります。

しかし、教会はその出来事を忘れてはいません。カトリック教会や聖公会などは特に12月28日を虐殺された幼子を殉教者として覚えているのです。この世の理不尽さを覚えるということになります。

主イエスが生まれようと生まれまいと、ヘロデ大王は残虐であり、人々を抑圧していました。うまく飴と鞭を使い分けながら…。

むしろここで、主イエスは殺す側ではなく、殺される側であったことを見ていくことができます。

最も小さく自分では何もできないような幼子が殺されていく現実は今でもあります。

小さい命が大きなものの犠牲にされるということが現代でもあります。

主イエスは、そのような時小さな側に立たれるのです。

主が私たちの小ささもご存じであり、その小ささゆえに助けを惜しまない方である、主イエスが共にいてくださる方であることを覚えたいものです。

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