聖 書
旧約聖書 エレミヤ書31章17節 (旧約p1235)
福 音 書 マタイによる福音書2章13-23節 (新約p2)
説 教 「涙の中にあっても」
降誕節にあって
新しい年を迎えました。昨年は新型コロナウィルスに振り回されました。なおもウィルスに対する恐れは増しています。
一方、わたしたちはクリスマスを通して、主のご降誕の光の中にあります。神の独り子なる主イエスがわたしたちに与えられました。神がわたしたちを見捨てていないこと、十字架の道を歩んだとしても絶望はないことがされました。
神が共にいてくださる、ということが、祝福のしるしであり、わたしたちの歩みも順風満帆で暗いところが全くなくなる、というのでしたら、どんなによいことでしょうか。しかし、主イエスがお生まれになった後も、悪の力が全くなくなってしまうのではありません。今日の福音書は、悪の力は最後のあがきのように、もろもろの悪の力が主の命を奪おうとしていることが示されています。
神の勝利は決定的でありながらも、なお悪の力の働きがあります。よく第二次大戦のヨーロッパ戦線のノルマンディ上陸作戦の開始日のDデイが勝利を決定的にしたことと重ねられることがあります。勝利が決定的になっていても、まだ相手が降伏しないかぎり戦闘は続き、敵との戦いはさらに激化することもあるわけです。神の力が勝利し、私たちの救いが決定しているにもかかわらず、罪との戦いは続いている、悪との戦いが続きます。その戦いは、終わりの日まで続くのです。
一方、主イエスの身代わりに、多くの幼き命が奪われてしまった、ということが、私たちの心に葛藤をもたらします。主イエスは、わたしたちを救われるために来られたのではないか、それなのに、主イエスのために大勢の幼き子どもの命が奪われてしまったのは、矛盾があるのではないか。神は何をされていたのか、と嘆き怒るような思いも沸き起こってくるのです。
幼子殉教者
教会は伝統的にこれらの幼児たちを「幼子殉教者」「聖なる幼児」などと呼び、彼らが最初の殉教者であると考えて、伝統的な教会暦においては、12月28日を幼子殉教者の記念日として覚えています。
殉教というのは、通常でしたらキリスト教の伝道のために命を落とすことで、自らの信仰のために命を失ったときに殉教であるかどうかを判断されます。そこでは、本人に信仰があることが前提となります。しかし、幼子殉教者が信仰を持っているとは言えない面もあります。
その点を改めて考えてみると、梶原寿さんというマルチン・ルーサー・キングJr牧師の研究者で、非暴力による抵抗運動を広めようとしていた方が、キング牧師の言葉を引用して言われていたことを思い起こします。
「自ら招かざる苦難」には、人を救う贖罪的な力がある、というのです。すなわち直接的に自らの責任ではなく負わざるを得ない不条理な苦難、不当に受ける苦難は、誰かの傷をいやす力がある、ということです。それは、不条理な苦難が、世の罪を負うということでもあります。事故や公害の被害者、自然災害の被災者は、ある意味で世の罪を告発するものとなります。そのような被害者が他者の痛みを負い、共に生きていく道を示すものが現れます。たとえば、水俣病の被害者やカネミ油症の被害者の中には、自らが生かされていることを知り、病を通してはじめて病になる前の自分自身が、他者の命を犠牲にしていたことに気づかされ、公害の責任者を赦し和解への道に生きようとしている人たちが現れています。同じ過ちを繰り返さないように、という祈りには、傷をいやす力がある、と言えます。
幼子殉教者の出来事は、ヘロデ大王の権力欲のために起こった事件ですが、世の中で一大事があると、犠牲になるのは、最も小さい者である、ということとも重なります。戦争や災害などがあると、子どもたちが犠牲になります。命が奪われるだけでなく、たとえ生き残っていったとしても、大人の一ヶ月よりも子どもの一ヶ月は成長の速度が速いだけ、奪われる時間は大きいでしょう。その他、今を生きることを阻む力があります。人を抽象化してしまう力があります。最も小さい者たちによって、世の罪は告発され、傷ついた者たちが共に支え合っていく、連帯していく道が示されるのです。そのようにして、幼子の死は、主の十字架を指し示しています。そして、主イエスは生き延びるものの、殺される側にいた、ということです。主イエスの誕生に合わせて、幼子が虐殺された、ということは、主が不条理な苦難を受ける側にいることを示すのです。
寄留の民としての主イエス
主イエスは、ヨセフとマリアに伴われて、ヘロデ大王の刃を免れて、エジプトに逃亡します。そして、ヘロデ大王の死とともに、エジプトを脱して、ガリラヤに身を寄せました。
聖書は「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」という預言の成就として語ります。これは、ホセア書11章1節に示されている言葉です。ここには、主イエスがまず寄留の民すなわち難民として幼い時を過ごされた、ということが現されます。また、イスラエルの民が預言者モーセによって奴隷から出エジプトしたように、主イエスが最後のモーセとして、罪の縄目からの解放者としての姿を指し示しています。
主イエスは、幼子として最も小さな者の代表者として存在されました。寄留の民の一人として、この世に居場所を持たない者となったのです。祖国を奪われた者、故郷を奪われた者の一人となられているのです。
ガリラヤで育つ主イエス
エジプトから帰還した主イエスは、ユダヤの主要な都市ではなく、ガリラヤのナザレという小さな町に住み、そこで育つこととなりました。
主イエスが、ナザレ人として育たれたことにも、聖書は神の御心、ご計画があったことを語ります。
ガリラヤは、当時反骨のガリラヤとも呼ばれていました。ヘロデ家の支配やローマ帝国の支配からの解放を目指して反乱が何度もありました。また、ユダヤの主流からは「異邦人の地ガリラヤ」と呼ばれていました。イザヤ書8章23節には、「異邦人のガリラヤは、栄光を受ける」と語られています。また、ヨハネによる福音書には「ナザレから何か良いものが出るだろうか」とナタナエルに言わせています(1章46節)。紀元前722年にアッシリア帝国に北イスラエルが滅ぼされて以来600年ぐらいはユダヤ人たちからみて異邦人が主に暮らしていました。その後、紀元前103年にユダヤの領土となり、ユダヤ人たちが多く入植することになりました。またガリラヤは交通の要所として砦が築かれたり、主イエスの時代にはナザレから10キロメートルにも満たないところにセッフォリスという都市(ガリラヤの首都)が築かれていました。王の住まいもあり、その周辺の人々は貧富の格差の大きさを感じることがあったでしょう。ユダヤ人なのにユダヤ人でないかのように扱われることもありました。なまりもきつく、神殿で公に祈ることは許されなかった、という中で、主イエスは育ったのです。
神は徹底して小さきものの側にいる
これらのことから、神は主イエスを通して、徹底的に小さき者と共にいるのです。新しい年も、何が起こるか分からない中にあります。期待よりも不安と恐れが大きいかもしれません。しかし、そのようなわたしたちと主イエスが共にいてくださるのです。
たとえ、涙が枯れ果てる中にいても、主イエスは共に苦しんでくださり、貧しい者、弱い者と共にいてくださいます。主イエスのご生涯そのものが十字架の道でした。人々の痛み、苦しみ、悲しみを共にするからこそ、またその痛み、苦しみ、悲しみのもととなる罪に打ち勝つ方であるからこそ、わたしたちの救い主です。わたしたちの罪、世の罪を負ってくださり、赦される方だと言えるのです。そうであるからこそ、私たちもこのお方と共に、罪赦されたものとして生きることができます。神が託される使命に生きることができるのです。